他の人ってどうなんだ?

私はいろいろ最近あったことを考えると、その出来事を概念化して、その現象にぴったりな表現が見つかった時、とてもうれしい

 

自己分析とかけっこうすき

そして人と違うことがわかるともっとすき

 

自分の存在価値について考えることあるよね

別に病んでるわけではなく、自分が周りに与える影響と自分がこの場所にいるべきだと自分が納得できる理由が欲しくなる

 

〜ぽいよねって言われたい

それをかき集めて、他人から見える私を作ってみたい

他人からみえる自分になるなんてと思うかもしれないが、実は私は私がわからない

私のmbtiはころころ変わる。自分のことがわかっていない、まだ理解できないところがあるんだってさ

 

だからさ、結局就活のことなんだけど

わたしっぽいね!って言われて、自分も私っぽいでしょ!って思える職種につきたいんだよね〜〜

 

はーーーわからない、やりたいことがわからない

モラトリアムが終わってしまう

好きになりやすい

私の特徴はなんですかって言われたら

 

はまったらとことん気になって調べちゃう性格

人に自信を持って好きですって言えるくらい知識をつけて

たくさん知りたいって思うことかな

 

あとは、無難な考え方が好きじゃないね

でも無難な選択が1番後悔しないってことも知ってる

 

わたしは抗いながら、平凡になって生きている

 

非凡に憧れながら、平凡に抗ってるのさ

婉曲的

就活では論理的に、端的に、わかりやすくがモットー

 

だけど大好きな映画の中も、自分の大好きなアーティストも、遠回しの言葉ばっかり使ってる

 

そんな世界ばかりに浸ってたから、直接的な表現に耐えられなくなってしまった

 

がんばれ私

切り替えられる人こそが、言葉の魔術師だぞ

 

あーつまらないな、もっとおもしろくて、楽しい生き方をしたい

 

踊るように生きる

笑うように生きる

人生への考え方

すっかり久しぶりだけども

わたしはイギリスへ現実逃避をしにいき、

帰ってから就活をしている最中

なかなかうまくいかないね

周りの友達はかなり進路が決まってきて、自信をもって前に進んでいるように見える

わたしは他の人をみるとやっぱり価値観ぐらぐらぐらつく

私の本心を知るためにみんなを遮断したい

 

いつもの遊び相手が海外へいってしまって

これもまたさみしい

 

新しい遊び相手は妹だが、

妹も妹でやることがあるから、そう一緒にはいられない

 

依存してないとやっていけないのかよ私

 

人生の楽しみとか、目的とか、未来とか

よくわからないわ私

 

だってやりたいことが明確じゃないからね

 

もう好き勝手にだれかと恋愛ごっこして

毎日落ちぶれたい

 

そんな気持ちをおさえて

今日もESを書く

 

はあ、ときめきたいな

 

いちばん大切なこと

田中さんの原作者の話。

どう考えても1番大切なのは原作者だ。

原作者がいなければ、脚本も書けないし、ドラマも作れない。1番大事なこと。

 

政治家の横領。

働いた分だけもらうのが給料だし、自分のお金じゃないものを自分のものにするのは泥棒。

うっすい言葉だけど政治家は国をより良くする人でしょ。国会中継の雰囲気が重たすぎる。

 

戦争。

戦争は貧乏になる。周りの国の支援もだんだん厳しくなってきたね。いますぐお互いやめちゃえば、お金も人もなくならないのに。

 

ビジネス。

お客さんが本当に望んでいることを提供する。自分の利益だけを考えて、ズルをしない。ごまかさない。騙さない。

 

こういうことを言うと、理想だけを語るんじゃない!!!って怒られるやつ。

こどもになにが大切?ってきいたら即答するだろう問題。

おとなになって、いろんな知識を身につけると簡単には答えられない。

そして、どんどん煩雑な問題になって、埋もれて、染まって、わけわかんなくなって、見失う。

 

もしかしたら自分がまだこどもなのかもしれない。

変な正義感とこだわりで生きにくくしているのかもしれない。

仲間はずれにはなりたくないけど、

仲間の一員になって染まりたくない。

 

アイデンティティ、みんなはどこに見出してるの?

 

聞かれ方

学生時代1番力を入れたことはなんですか?って聞かれると、うーん、、力をいれたこと、、、となってた私。

だがこの間、学生時代前向きに取り組めていたことはなんですかと聞かれ、迷いなく答えることができたのだ!

聞き方って大事。

 

また、どんな職に就きたいですか?って聞かれるとうーん、、いろいろ考慮するとなんだろう、、、となっていたが、

知人と職種を交換できるなら誰と交換したいですかと聞かれ、ほんとうの自分の欲に忠実になって答えられた。

 

ストレートな質問をされると、いろんな場面ごとに応じて適切な答えを出そうとしてしまう。

〇〇は好きですか?には好きな時もあるし、こう好きじゃない時もあると思ってしまうし、

〇〇な時どんな対応が良いと思いますか?という質問に〇〇な時の詳しい状況によって対応が違うよなと思ったり。

答える時にわざわざ自分の状況仮定が必要になる質問って多い。

 

断言を避けたコミュニケーションは曖昧で優柔不断、イラつかせるんだろうな。

ただ断言してあとからコロコロかわる、まるで送信取り消して追いLINEをするようなのもどうなんだ。

 

断言した後にやっぱりちがった!笑って言えるような関係性の人にしか、はっきり答えられない。

 

はっきり決めた後にも考えてしまう。

私の性格は優柔不断、良く言うと慎重派なのだろう。

またひとつ自己分析できたみたい。

推し仲間の存在

ファンイベントにいったことがある人ならわかるだろう。

自分と同じように推している人間を目の当たりにする恥ずかしさが。

 

自分の属性は推している対象によっても分けられると思っている。自分と同じ仲間を見ると、一気に自分は特別ではなるのだ。そして、こういう人たちというひとくくりにして見られていると感じるのだ。

 

常に推しと私の世界で作られた閉鎖的な感覚が、イベントに行くことで散漫な感覚になる気がする。

 

だがしかし!会いに行くことはとても重要なのだ。周りの人に目を瞑りながら、自分と推しのつながりを確かなものだと認識する。

 

どうしてもひとりぼっちに感じてしまうことがある。それを都合の良いように、縋る場所にできる。それが私にとっての推しである。